自分の気持ちに鈍感すぎた件

子どもを授かるまで

さかのぼる事2017年の10月。

飼っていたペットが死んだ。もう少しで飼い始めてから3年になる頃だった。

毎日お世話をして、自分なりに愛情を注いできた対象がいなくなるのは

とてもとても悲しくて辛いものである。

私はこの頃、働いていた会社がとても忙しくてゆっくり悲しみに浸る暇もなかった。

扶養内パートなので家事はもちろん全部私。

ここから少しずつ、少しずつ、自分が、自分の認識が壊れていくのを感じた。

私は受付事務で電話や来客応対、受け付けた仕事を委託するなどが主な仕事であった。

本来は私のほかに1~2名同じ仕事内容のパートを雇うはずが、

なかなか続く人がおらず 私1人で担っていた。

そんな時、会社が事業を拡大するにあたって、

メールでも仕事の依頼を募るようになってから トイレに立つ暇がないくらいの忙しさに。

トイレに立たなくてもいいよう極力飲み物は取らずに、お昼ご飯も少なくして

即対応ができるように会社に合わせる日々が続いた。

忙殺されていても家に帰ればかわいいペットが癒してくれていた。

そんなある日、彼はお迎えが来てしまい旅立ってしまったのだった。

2014年に夫と結婚して しばらく子どもも授からなかったので、

私達はペットにハムスターを迎え、飼うことにしたのだった。

子どものいない我が家ではハムスターが会話の中心だったり、

大きなタマタマをフリフリしながら歩く姿は日々の疲れを忘れさせてくれた。

あんな小さな体なのに我が家では大きな存在感を放っていた。

そんな彼、大豆さんはもうこの世にはいないのだ。

頭ではわかっているのに心がついていかない。

今まで我慢してきて押し込んでいたところに さらに大きな悲しみが乗っかったことで

私の我慢できる許容範囲を超えてしまったのだ。

そのうち頭の中に声が聞こえるようになった。

『お前がちゃんと世話をしなかったから死んだんだ。』

『本当はもっと生きれたのにお前が殺した。』

その声はだんだん大きくなってきた。

例えば夫に持たせるお弁当や水筒のお茶を用意していた時もずうっと

『もっとテキパキ動け』

『のろまな愚図』

『パートで収入が少ないのだから家事はお前が完璧にこなして当然』

準備をしているはずが声がうるさくて何をしていたかわからなくなる。

この日は水筒の用意を忘れて夫に小言を言われた。

しっかりしてよー、とかそんな感じだったけれど

私の頭の中では

(完璧にしないと嫌われてしまう。できない私は価値のない人間だ)

と、変換された。

『できないなら死ね』

また声が聞こえてくる。私は死ぬべきなんだろうか。

最近物忘れが激しいな…なんでだろう

と思えば、

『お前が無能だから』

と声が返ってくる。

この声は自分の心が出来損ないの自分へ発しているのだと思っていた。

頭の中は常に私を罰する言葉がいっぱいでボンヤリ重苦しく、

休みの日も頭の中はその状態だから休まらなくて

そのうち頭痛や倦怠感も増えてきて自分でもおかしいと気づき始めた。

それから2ヵ月が経過したころ、私は忙殺された日々からいきなり解放された。

会社が倒産したのだ。

倒産の原因は社長の横領が発覚した為だった。

何度も横領を繰り返す社長にほかの社員は愛想をつかし、倒産に至ったようだ。

私はその翌日から無職になった。今思い返しても急展開すぎる。

相変わらず頭の声はするけど、その正体を調べる時間はたっぷりある。

心の声 責める 苦しい

で検索をするとたくさんの情報が出てきた。

私はここで1冊の本と出合ったことをキッカケに人生が大きく好転しました。

自分の心の状況や考え方の癖、また務めていた会社で自己犠牲をする働き方で

どんどん悪化させていたことに気が付いた。

大嶋信頼先生の支配されちゃう人たちという本を読んでから

私が自分の心の声だと思っていた罵倒する声の主は

支配者である母の声だったという事にも気が付きました。

正直本の中にある『心よ!』という呼びかけをしても私の場合はシーンとして

何も聞こえませんでしたけど(゜-゜)(笑)

ただ行動意欲がわいて

『もっとこの先生の本が読みたい。』

と思えばAmazonでポチ!

『大豆さんが死んじゃった時、ゆっくり死と向き合えなかったから

アルバムを見返して思いっきり泣きたい。』

と思えばそれを実行したり…。

その時に思い出したのは子供の頃。

周りが右と言えば右。例え私は左と思っても。

空気を読んで周りに合わせることを守る事が一番重要で、 

その結果自分をないがしろにして生きていたことに気が付いた。 

その為自分がしたい!と思うこと自体少なかったし、

心のままに行動したこともほとんどなかった。

人の目が気になるから、と自分のしたいことを避けていたから

いつまでも不自由さを感じていた。

それは『(母にとって都合の)いい子でいて欲しい。』という身勝手な考えで

育てられた事によって生じた心の癖だった。


ここを解決しないと もし私に子どもができた時に 

母が私にしたことを私が子どもに繰り返してしまうかもしれないと。

それはここで気づけた私が断ち切らないといけない。

いや、是が非でも断ち切りたい!

こんなクソみたいな奴らの負の連鎖なんかを大切な子どもに継承したくない。

追求することは過去を振り返り、心の傷を開く事。

事実を客観視していても 当時の気持ちまで引き寄せられてきて苦しい。

自分の過去を紐解くことはつらくても最後はきっと楽になれると信じたのは間違ってなかった。

身勝手な両親への怒りが爆発した時もあった。

その怒りを感情のままに本人たちへぶつけることも考えたりしたけれど、

アンガーマネジメントの本を読んで『今更言っても無駄だな』とストンと落ち着いたり。

『人を愛する能力のないのに親になった未熟な人たち』に構っている時間があるなら

目の前にいる愛する夫に、もう1品おかずを増やしてあげた方が幸せだなって。

ちなみに 子ども嫌いな父にとって私はいらない子であり、

母にとっては自分の理想の家庭にする為の材料の一つであって

私をそのまま無条件で愛してくれる家族はいなかった。

これを認めるまでに時間がかかってしまったけれど、

今は自分を自分で肯定して、幸せにすることができるのだから

過去の家族だった人たちに媚びても怒りをぶつけても私が欲しいものは手に入らない。

今は考え方が変わって、子どもがいる・いないは関係なくて

自分の心に素直であれば人生はどこまでも自由だと知った。

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